目崎雅昭

子供は誰でも、「どうして?」と質問をする。しかしその質問に対して、「うるさいから、黙ってやりなさい!」と大人が言い続けると、そのうちに子供は質問をしなくなるだろう。そして、黙って何でも親に従う子供は「よい子」として賞賛されていく。 すると、子供はそのうち「なぜ」という疑問さえ持たなくなってくる。その後は、「それが社会だから」とか「世の中はそういうものだから」と、それ以上の詮索をやめてしまう。周囲と同じ事をやっていれば、少なくとも批判されることはないからだ。 そうやって大人になった者は、今度は子供達から「どうして?」と質問されても、「そういうものだから」としか答えることができない。それ以上に「なぜ?」と聞かれると、「黙って従いなさい!」となってしまう。自分がそうやってきたのだから、当然といえば当然の結果だろう。 萎縮した子供は萎縮した大人になり、自分の外側にある「常識」に従うことを絶対視する。それは、自己が喪失していくことを意味しないだろうか。 意思とは、ひとりひとり固有の、自分を自分としている最小単位の根源である。意思があるから個性が生まれ、人間としての魅力も出てくる。意思がなければ、それは魂のない人間と同じだろう。 仕方がないから。それが世の中だから。ダメなものはダメ。こういったことが口癖ならば、自分の「意思の存在」を疑う必要がある。「それが日本人の国民性だ」「日本の文化だから変える必要はない」などと、安易な反論がでてくる場合も要注意だ。